大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和57年(ネ)3027号 判決

控訴人 祝正巳

被控訴人 国 ほか一名

代理人 西迪雄 井関浩 前田順司 竹野清一

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の申立て

1  控訴人

(一)  原判決を取り消す。

(二)  被控訴人らは、控訴人に対し、各自三〇五万二五〇〇円及びこれに対する昭和五四年五月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

(三)  控訴人に対し、被控訴人小野幹雄は原判決添付別紙第一目録記載の文面の、被控訴人国は同第二目録記載の文面の各謝罪広告を、それぞれ見出しは二二ポイント活字、記名宛名は一四ポイント活字、本文その他の部分は八ポイント活字をもつて、それぞれ株式会社朝日新聞社発行の朝日新聞、株式会社毎日新聞社発行の毎日新聞、株式会社読売新聞社発行の読売新聞、株式会社日本経済新聞社発行の日本経済新聞及び株式会社中日新聞社発行の東京新聞の各朝刊全国版社会面に各一回掲載せよ。

(四)  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

(五)  (二)項につき仮執行宣言

2  被控訴人ら

主文一項と同旨

二  当事者の主張及び証拠

当事者双方の主張及び証拠の関係は、当審において陳述された主張を次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

1  控訴人

(一)(1)  被控訴人小野は、「資本家の犬」という発言の発言者を自ら現認していないのであるから、直接現認した者の確認をとるなど、発言者を識別する措置をとるべきであつたのに、何らの措置をとらないまま、重大な過失によつて発言者でない控訴人に対し拘束命令を発したものである。

(2) 本件監置決定は、合議体でなされたものではあるが、被控訴人小野は、拘束命令を発した者であり、合議体の裁判長でもあつたのであるから、右決定は、実質的には被控訴人小野の指導と判断に基づいてなされたものである。また、被控訴人小野は、右合議体のなかでいかなる役割を果たそうとも、その一員(特に裁判長)として関与し、その名において誤つた裁判をなした以上、責任を免れ得ないのは明らかである。

(二)(1)  本件は、控訴人が、人違いという裁判官の事実誤認によつて法廷等の秩序維持に関する法律(以下「法秩法」という。)に基づき違法に拘束され、監置七日の処分を受けたことにより被つた損害の回復を求めて、被控訴人らに対し、国家賠償法に基づく損害賠償等の請求をしているものである。

ところで、法秩法は、事実誤認を理由とする抗告及び特別抗告を認めておらず(五条、六条)、また、同法には再審手続もないので、本件のごとき事実誤認は、同法の手続内で他の裁判所によつて批判され是正される余地がなく、事実誤認によつて制裁決定を受けた者は、同法の手続内では全く救済の途がないことになる。

このように、当該手続内で裁判の瑕疵を是正するための救済方法が全くない事案については、裁判の違法を理由とする国家賠償法に基づく損害賠償請求の場合においても、他の公務員の行為を理由とする右請求におけると同様、違法性の判断にあたり、「特別の事情」(最高裁昭和四三年三月一五日第二小法廷判決、同昭和五七年三月一二日第二小法廷判決)を要しないというべきである。

(2) 仮に、本件においても、裁判官に違法な行為があつたとするためには、特別の事情が必要であるとしても、右特別の事情とは、「裁判官が事実認定に当たつて経験則、採証法則を著しく逸脱し、通常の裁判官であれば当時の資料、状況のもとでそのような事実認定をしなかつたであろうと考えられるような過誤を犯した場合」又は「裁判官の証拠能力又は証明力に関する判断が、裁判官に要求される良識を失し、経験則、論理法則上その合理性が認められないことが、その審理段階において明白な場合」などをいうものであるところ、本件においては、次のような事実が存するから、本件拘束命令及び制裁決定は、被控訴人小野が、裁判官に付与された権限の趣旨に明らかに背いてなしたものであることは明らかであり、右「特別の事情」があるというべきである。すなわち、

ア 法秩法による制裁は、通常、第三者として公正無私な立場で審判官の役割を果たす裁判官が、被害者(目撃者)、検察官、裁判官の三役を一人で果たすという極めて異例な裁判であるから、制裁決定をなすに当たつては、通常の裁判以上に冷静かつ慎重な判断が当然に要求されるところ、被控訴人小野は、威力業務妨害事件の判決言渡しの時から、異様な興奮状態にあり、右判決の朗読すらしどろもどろで、控訴人の拘束に際しておよそ冷静かつ慎重な判断をすることが不可能な状態であつた。

イ 被控訴人小野は、前記判決の主文と理由の要旨を告知し、閉廷宣言した後も法廷を去ることなく、裁判官席に座り続けて、被告人と傍聴人らの怒りと抗議の声が起こることを待ち受けており、その声があがれば退廷、拘束などの強行措置をとろうとしていた。

ウ 被控訴人小野は、制裁の裁判をするに当たつては、控訴人が「資本の犬」との発言をしたのでないことが、前記引用に係る原判決事実摘示中の請求原因3(一)の(1)ないし(4)記載(七枚目裏二行目から一〇行目まで)の事情から、既に明らかになつていたのに、あえて監置七日とする決定をした。

エ 更に、被控訴人小野は、前記引用に係る原判決事実摘示中の請求原因3(二)の(1)、(2)記載(八枚目表五行目から同裏四行目「編綴した。」まで)のとおり、抗告に伴う再度の考案を拒否して自己の誤りを改めず、また、制裁記録を作為的に編成して自己の過ちを隠ぺいしようとした。

2  被控訴人ら

(一)  裁判官がした争訟の裁判に、訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在することと、国家賠償法上の違法性があるということは異なるものであり、右裁判を国家賠償法上違法とするために「特別の事情」を必要とするゆえんは、確定した裁判の法的安定性ないし拘束力あるいは裁判官の独立などの裁判制度の本質にあるから、裁判の瑕疵が上訴、抗告等の救済方法によつて是正することができるか否かによつて、特別の事情の必要性が左右されるものではない。

(二)  「特別の事情」とは、確定の終局判決に対する再審事由として民訴法四二〇条一項四号に規定する事由又はこれに準じる場合のように、外形的、形式的には裁判官に付与された権限の行使を装つているが、実質的には、右権限を濫用し又はその範囲を逸脱して、およそ裁判官に付与された権限に属さない行為をなしたものと評し得る場合に限られるものというべきであり、控訴人が主張するような、事実認定に当たつて経験則、採証の法則を著しく逸脱した場合、証拠能力又は証明力に関する判断が経験則、論理法則上その合理性が認められない場合など、本来裁判官の専権に属する事実認定、証拠能力又は証明力に関する判断についての訴訟手続上の違法にすぎない事柄は、特別の事情には当たらないというべきである。

そうすると、控訴人が主張する事情は、そもそも右特別の事情には当たらないものであるし、更に本件においては、裁判官において事実認定の誤りも存しないものであるから、右特別の事情が存する余地はない。

(三)  控訴人の特別事情の主張に対する反論

(1) 控訴人は、被控訴人小野が抗議を待ち受け、意図的に監置した旨主張するが、当日の法廷は、同被控訴人の判決主文の宣告があつた直後、傍聴席から野次的な発言があり、理由の告知の際にも傍聴席からの発言が続き、その告知が終つた時から更に野次的な発言があちらこちらから発せられていたという状況にあり、閉廷後の混乱が予測されたのであるから、閉廷宣告後においても、法廷の秩序を維持するために裁判長以下の裁判官が在廷することは、当然のことであり、何ら異とするに足りない。

(二) 控訴人は、被控訴人小野が、違法な手続で虚偽の証拠を提出させた旨主張するけれども、法秩法に基づく裁判は、裁判官が現認した事実に基づいて行われるものであるから、本来その現認があれば足り、他に証拠を必要とするものではない。しかし、法廷においては、裁判官の外に書記官、廷吏及び警備員等の関係者が在廷するのが通常であるから、このような関係者に現認報告をさせ、裁判官の認識を補強し、客観性を担保することは望ましいことである。本件においては、被控訴人小野は、控訴人を拘束した後に、法廷において控訴人の発言を現認した高杉警備員より報告書と同旨の報告を口頭で受けたので、後刻書面にするよう求め、制裁の裁判は、自己、陪席裁判官及び高杉警備員の一致した認識に基づき行われたものであるから、何らの違法はない。

理由

一  昭和五四年二月九日、控訴人主張の刑事被告事件の判決公判に際し、裁判長裁判官被控訴人小野、裁判官平良木登規男、裁判官川合昌幸により構成する東京地方裁判所刑事第六部は、同日午後一時三〇分過ぎころ、右裁判長において、法秩法に基づき、右公判を傍聴していた控訴人の拘束を命じたうえ、午後二時三〇分過ぎころ、同裁判所は控訴人を監置七日に処する旨の制裁決定を言い渡したこと、控訴人は、右決定に対し東京高等裁判所に抗告したが、同月一五日抗告棄却の決定を受け、更に最高裁判所に特別抗告をしたが、同年三月一五日右抗告も棄却され、前記決定が確定するに至つたことは、当事者間に争いがない。

二  被控訴人国に対する請求について

1  控訴人の本訴請求は、確定した前記制裁決定に法令の適用の誤り、事実誤認等の違法があることを前提に、被控訴人小野の行為が不法行為に該当するとして、被控訴人国に対し国家賠償法一条一項の規定に基づき損害賠償の請求をするものである。

ところで、一般に裁判官の職務上の行為についても、国家賠償法の適用があると解すべきであるが、裁判官の行う裁判については、同法の適用につき、裁判の本質に由来する制約が存する。すなわち、確定した裁判のもつ不可争効は、単に、当該裁判手続における通常の不服申立方法によつて、もはや争い得ないとするに止まらず、他の裁判手続においても、確定裁判自体の当否を争訟の対象とすることを原則として許さない趣旨に解すべきことは、裁判制度の本質からいつても当然である(このことは、確定裁判が認定したと同一の「事実」を他の裁判手続で争い得るかどうかの問題とは、もとより別個のことである。)。したがつて、確定裁判については、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官が付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような、確定裁判の不可争性(適法の推定)をくつがえすに足る「特別の事情」がない限り、その違法を理由として国家賠償の請求をすることは許されないものと解すべきである。

法秩法は、民主社会における法の権威を確保するために、法廷等の秩序を維持し、裁判の威信を保持することを目的とし、そのために、司法の運営を阻害し裁判の威信を傷つける行為に対し、簡易、迅速な手続により制裁を科することを認めたものであり、裁判所の制裁権発動を確保するための保全的処置である行為者に対する拘束命令については、独立の不服申立てを認めず、制裁を科する裁判に対する不服申立方法として、抗告(あるいは異議の申立て)及び特別抗告の手続を規定しているのであるから、右制裁の手続における裁判官の判断の誤りは、右不服申立ての手続によつてのみこれを是正すべきものとするのが同法の原則とするところであり、制裁決定が確定した以上、制裁を科せられた者は、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて拘束し、制裁を科したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情がない限り、その拘束命令又は制裁決定に違法があるとして、国家賠償法一条一項の規定に基づき国に対して損害賠償の請求をすることは、許されないものというべきである。

そこで、以下、右のような「特別の事情」の存否に関し判断する。

2  まず、控訴人は、法秩法は憲法に違反するのに、被控訴人小野が同法に基づき本件拘束命令及び制裁決定をしたのは違法である旨主張するが、仮に右命令及び決定に控訴人主張のような違法があるとしても、それだけでは前記の特別の事情がある場合に当たるということはできない。のみならず、当裁判所も、法秩法が控訴人主張の憲法の各規定に違反するものではなく、右違憲の主張は理由がないものと判断するが、その理由は、原判決一七枚目表九行目から同裏六行目までの原判決理由説示と同一であるから、これをここに引用する。

3  次に、控訴人は、法秩法は事実誤認を理由とする不服申立てを認めていないから、このような場合には、国家賠償法上の違法性の判断にあたり、前記の特別の事情を要しないと解すべき旨主張する。

確かに、法秩法は、抗告の理由を法令違反のみに限定し、事実認定の不当を理由とする抗告を認めていないけれども、確定裁判の違法を理由とする国家賠償請求に「特別の事情」を必要とするゆえんは前記のとおりであるから、当該裁判手続における不服申立方法のいかんにより、特別の事情の必要性が左右されるものではない。なお、<証拠略>によれば、本件制裁事件の抗告審は、原決定の審理不尽をいう抗告理由に対する説示において、証拠に基づき控訴人の発言の事実を断定するに十分であるとの判断を示していることが明らかであるから、同抗告審は、原決定の事実認定についてもこれを支持していることに帰し、この点からいつても、不服申立方法がないから本件について特別の事情を要しないというのは、当たらない。

4  更に、控訴人は、特別の事情として、当審において二1の(二)(2)のアないしエのとおり主張するが、ア、ウ、エの事実は、それだけでは未だ前記特別の事情がある場合に当たるものとすることはできないのみならず、これらの事実、すなわち、被控訴人小野が、控訴人の拘束に際し冷静かつ慎重な判断をすることができない状態にあつたこと、拘束前、控訴人が発言をしたのでないことが明らかになつていたこと及び被控訴人小野が、自己の過ちを隠ぺいするため、制裁記録を作為的に編成したことを認めるに足る何らの証拠もない。また、裁判長又は開廷をした一人の裁判官は、審理が終了して訴訟関係人及び傍聴人の全員が法廷を去るまで、法廷の秩序を維持する責任を負うものであるから、被控訴人小野ら裁判官が、閉廷宣言後も法廷を去らず、裁判官席に座り続けていたことは、事件の性質に鑑み何ら異とするに足らず、また、同被控訴人が抗議を待ち受け意図的に拘束、監置したことを認めるに足りる証拠は何もない。

5  なお、控訴人の当審における二1(一)の主張につき付言するに、当裁判所も、本件拘束命令及び制裁決定に、人違いの合理的疑いを解明せず、これを無視した違法はないと判断するもので、その理由は、原判決の説示(原判決一九枚目表三行目から二〇枚目裏六行目まで。ただし、同四行目の「ものではなく、」の次に「このうち、<証拠略>は、法廷取材にあたつた新聞記者の見聞を記載したものであるが、同記者は、他の報道関係者七、八人とともに満員の傍聴席の後部に立ち、裁判官席に向つて右隅にいた者であり、したがつて、前認定の数名の発言者があつた傍聴席において、控訴人が発言しなかつたことを確認できる状況になかつたことが、その記載自体から明らかであるから、これらは、」を加える。)と同一であるから、これを引用する。

したがつて、本件制裁決定等に関与した裁判官に前記特別の事情があつたといえないことはもとより、その認定判断には、控訴人が二1(二)(2)に指摘するような経験則、採証法則の逸脱もなかつたといわなければならない。

6  そうすると、本件拘束命令及び制裁決定の違法を理由とする控訴人の被控訴人国に対する請求は、失当として棄却すべきである。

三  被控訴人小野に対する請求について

控訴人の被控訴人小野に対する本訴請求は、同被控訴人が裁判長としてした本件拘束命令及び制裁決定の違法を原因とするものであるところ、公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責めに任じ、公務員個人はその責めを負わないものと解されるから、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の被控訴人小野に対する請求は理由がなく、失当として棄却すべきである。

四  よつて、右と同旨の原判決は相当であつて、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉山克彦 鹿山春男 赤塚信雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例